日本人はこんなに韓国に負けている。勝つべき、勝てるはずの闘いなのに。
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強制連行

昭和20年
敗戦後、一部の朝鮮人は戦勝国民を主張し、「朝鮮進駐軍」を名乗り、日本各地で略奪、暴行など悪虐の限りを尽くした。

中国人が暴れまわっていたが、当時日本人であったはずの朝鮮人は日本を裏切り、
戦勝国民と偽って暴れだした。やがて中国人は大人しくなったが朝鮮人はやりたい放題だった。多くの朝鮮人は日本人と同じように混乱期を生きていた。

1948年までは朝鮮に国は存在しなかったので朝鮮人は国籍は日本だったが、敗戦国になることを嫌がった朝鮮人は戦勝国民を主張。

GHQは認めなかった。
戦勝国でも敗戦国でもない、「三国人」という言葉が生まれた。
終戦直後の日本には200万人の朝鮮人がいたが140万人は帰り、60万人は残った。

しかし、これらの200万人は強制連行させられたわけではない。
日韓併合の後、貧しさから日本に渡ってきた者。
朝鮮戦争のとき、戦災を逃れて密入国してきた者。

GHQの方針もあり、戦後しばらくは無料で朝鮮半島に渡れたので、自由に帰ることができた。強制連行があったとしても帰ることができたはず。

「強制連行」なんて言葉がそもそもなかった。

1965年、在日朝鮮人、朴慶植によって書かれた「朝鮮人強制連行の記録」によるものといわれている。強制連行があった証拠として鎌田澤一郎著の「朝鮮新話」が引用されているが、

「末端の朝鮮人官史が暴走して実行した」という記述をカットして政策として「強制連行」があったかのように見せかけている。

国民徴用令という法律に基づく、徴用はあった。
工場や炭鉱などに国民を勤労動員することを可能にする法律。
朝鮮半島では施行されず、そのかわり企業は朝鮮半島で労働者を募集できるようになった。

それまでは日本内地での失業者増加を防ぐため、朝鮮人労働者の移住を制限していた。
1942年、「官斡旋」で役所が仕事先を斡旋するようになったが、朝鮮での官斡旋は仕事先をやめても罰則はなく、内地や台湾での徴用と比べても格段に軽いものだった。

1944年に朝鮮でも徴用が施行されるも、罰則を控えたため、目標達成率は79%にとどまった。

渡航制限されていたにもかかわらず、多くの朝鮮人が日本内地に渡ってきたことは当時の新聞を見てもあきらか。

日本国民の義務だった徴用を強制連行という言葉にすりかえているだけ。


我々日本人の朝鮮人感は、韓流ブームという薄皮を剥いでしまえばおそらく根っこではみんな「嫌い」じゃないだろうか。

歴史を学んでこなかった自分にしても「チョン」という言葉は聞いたことがある。
戦後の日本で悪行をつくした不届者にはふさわしいだろうが、今、韓国で反日の大騒ぎをしている連中はどうだろうか?

根っからの反日もいるだろうが、ワルモノ韓国人を演出する致命的な原因のひとつは「言論の自由」がないこと。→反日政策。

国策として日本叩きをしている。
親日は逮捕、財産没収なんてことがいまだに行われる国では・・・。

過熱しすぎる気質とあいまって偏狭ナショナリズムを生み、しばしば見られる過激なパフォーマンスも愛国の士を気取ってそれがカッコいいと思って自分に酔っているのか?

タレントなんか見ていても立居振る舞いからしてドラマティックに見えて引く。

日本のように何でも言えるようになれば、韓国も違った印象を我々に与えるかも知れない。

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